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執筆者の写真TOMO

嶺北の旅



四国山地の中央、高知嶺北地区を旅した。大歩危のもみじ亭で祖谷そばを食べた後、大豊町に入る。

大豊町の山には昔「仙人」と呼ばれる人がいて、一度、家を訪ねたことがあった。当時、本州と四国を陸地で結ぶ瀬戸大橋が建設されようとしていた頃である。その時の仙人の言葉を今でも覚えている。

「四国は神聖な島である。橋がかかれば大勢の悪魔たちが四国に入って来る。どうにかしなければ……」。

上村仙人は詩を以て神の道を説かれていた。

「目に見えぬ悪魔煩悩を神性に救う事こそ歌の神力(万有神化/上村苔水著)」。

当時、仙人から本を頂いたが、その後どうされたのかはわからない。

その近くの山あいには、福寿草や蓮の花で有名な「定福寺」という寺がある。2015年にはチベットの僧団が来られ、フェスティバルが行われていた。境内の記念館にはチベットの仏像や仮面舞踏の面

密教の法具などが展示されて、身近でチベット密教を感じることができる。また、山の人々の民俗資料館や万葉植物園がある。

そうこう思い出しながら、車は山道を登り山頂近くにある「ゆとりすとパーク」に着いた(表紙写真)。標高750m、360度見

渡せるロケーション、花の公園や遊具、宿泊用キャビン、オートキャンプ場などがある。以前、キャンプをしたのを思い出すも、その日はとても静かで、来訪者も数人しかいなかった

オートキャンプ場にテントを張っている人は誰もいない。にぎわっていた建物の施設も閉じられていた。以前は色んな花やハーブの苗、お土産品が売られていたけど寂れてしまったのだろうか。

それでも自然の景色は美しく、山々を眺めながらしばらく休憩していた。


次は何処へ……ふと「大町桂月」のことを思い出して、記念館のある土佐町へ行くことにした。山を下り、道の駅「大杉」で休憩する。大杉は、樹齢3000年と言われるご神木。以前、歌手の美空ひばりさんが、この大杉に祈願されて出世を果たしたという伝説がある。近くの美空ひばり記念碑にあるボタンを押すと、名曲「川の流れのように」が流れ出す。大豊インターチェンジ近くには、ドデカクおいしいかつ丼で有名な「ひばり食堂」があり、以前来た時には行列ができていて驚いた事がある。

その横を通過して、本山町に入る。四国山地の風の中、走ってゆくと「モンベル・アウトドアヴィレッジ本山」ができているのを知った。アウトドア用品や食事・宿泊・入浴ができる複合施設となっている。今度またゆっくり来ようと、土佐町に向かう。

桂月館」は、道の駅「土佐さめうら」の北側にある。「桂月」という土佐酒造所の一角にあるのでわかりにくい。その日もどこかの団体が酒蔵の見学に来ていた。入場料を払うとワンカップ1個が返ってくる。嶺北の豊かな自然に育まれた綺麗な水とお米でつくる、受付には自然派のお酒がずらりと並んでいた。

高知生まれの桂月は、旅と酒と自然を愛した詩人である。記念館には、桂月の年表や写真、自筆の作品や所持品などが展示されてある。ここを目当てに他県からはるばる来る人もいるらしい。

桂月は青森県の「蔦温泉」をこよなく愛していた。晩年その地に本籍を移し、蔦温泉で最期を迎えられる。

「蔦温泉」といえば、拓郎氏が歌った「旅の宿(岡本おさみ作詞、吉田拓郎作曲・歌」-。…ゆかたの君はススキのかんざし…熱かんとっくりの首つまんで…

そこで、新婚ホヤホヤの若い男と女が、湯上りに上弦の月を見ながら、飲み交わしていた酒は「清酒・桂月」だったかどうかはわからない。


蔦温泉と十和田湖周辺には桂月の歌碑が多く建てられているという。

山深き、源泉かけ流しの湯につかって、桂月は旅の終わりを見つめていたんだろう…。


極楽へ 越ゆる峠の ひと休み 

蔦の出湯に 身をば清めて /桂月


こころよさ 何をたとへん 湯の瀧よ 肩を打たせて 冬の月見る /桂月


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