◌第44番 菅生山 大實寺(すごうさん、だいほうじ)標高579m
伊予の霊場。霧の宇和盆地を過ぎ、一日中雨の中を歩いていた。小田の遍路宿に宿泊し、翌朝、小田深山の山道を歩いて行った。雨上がりの陽ざしに、樹林のさわやかな香り…草の露は輝き、小鳥たちは歌い、樹々が生き生きと風に揺らいでいる。真弓峠を越えると景色は一変する、急に空が開けたような久万高原―。「大實寺」は四国霊場八十八番中、中間に当たる鎮守の森のような霊場である。
大きな杉がそびえ立ち、仁王門をくぐって石段を登ってゆくと高台に本堂、大師堂がある。本尊は「十一面観世音菩薩」。空海はこの山で、真言密教の三密の修行をされたといわれている。
三密とは如来(ホトケ)の「身体・言葉・意念」の働きである。行者は、手に印を結び(身)、口に真言を唱え(口)、心に本尊を念じて(意)、本尊と一体化し、本尊が持つ力を現実に吹き込むことができるようにと修行をする。空海は三密加持(さんみつかじ)の秘法によって、人々の苦悩を癒し、運勢を高め、日本を「密厳浄土(ホトケの国、理想郷)」にしようとして活動されていた。
◌第45番 海岸山 岩屋寺(かいがんざん、いわやじ)標高700m
たそがれる山道を歩き「岩屋寺」に近づくと、奇妙な岩峰が見えてくる。その岩峰間近の「古岩屋荘」に宿泊。翌朝、近くの不動尊に詣で「岩屋寺」に向かう。ふもとの村から約700m、山深い参道を登って行く。やがて、屹立した断崖にへばりつくようにして建っている本堂にたどり着く。横のはしごを登ると岩山のくぼみに入ることが出来る。その地下の洞窟には「不動明王」が祀られてある。
昔、空海がこの霊山に来た時、土佐生まれの女仙人が住んでいて、天空を自由自在に飛行し、この山の仙境に遊んでいたという。空海に接した仙女は、空海の徳にいたく感動し、この―山を献上して大往生を遂げたと伝えられている。
納経所に申し出ると行場の「鍵」を貸してくれる。大師堂の奥に、仙女が神通力で割って通ったという迫割(せりわり)行場があり、そこを通って木のはしごを登って行くと「白山権現」が祀られてある。ここに立って空海は「山高き 谷の朝霧 海に似て 松吹く風を 波にたとえん」と詠まれた。そのとおりの風景がある。行場を降りて「鍵」を返し、霊域を散策した。景色が見渡せる崖っぷちの場所を見つけて、そこで仙女の舞いを慕いつつ、仙術の書を読みながら瞑想に入って行った。
夕暮れせまる頃、後ろの繁みからガサッという音がした。すると、座っている左横に野うさぎが顔を出したのである。野うさぎは、瞬きもせず動くこともなく、しばらく横にとどまっていた。数秒後、さっと身をひるがえして、山の方へと消えて行った。
◌第60番 石鉄山 横峰寺(いしづちさん、よこみねじ)標高750m
「横峰寺」は、西日本最高峰「石鎚山(1982m)」の北側中腹に位置する。いくつかの参拝ルートがある。自転車遍路をした時は、石鎚神社から石鎚山へと向かい、途中、修験道場「極楽寺」を参拝、石鎚旧登山口がある「河口」近くの横峰寺登山口から登った。そこから霊場までは約3時間の道のり。昔、空海が「業(ごう)のモエ(燃え)坂よのう」と詠った険しい山道である。
その日は、自転車遍路の旅に出て21日目、最後の結願の日であった。深山幽谷、汗だくでひたすら歩く。途中、沢の水に癒され、登ってゆく。いつ時か、ふと腰のあたりに暖かさを感じた。不思議な事に、二人の小さな天女がささやくように腰を押してくれていた。その感触に思わず涙があふれ出てどうしようもなかった。小さな天女たちは、ずっと体を前へ前へと押してくれ、ついに「星が森」まで運んでくれた。そこで天女たちはほほえみ、手を振るように山の方へと消えて行ったのである。人は幻覚だというだろう。四国遍路の霊験伝説は果てしない。
「星が森」は「横峰寺」の奥の院であり、石鎚山が遥拝できる霊地である。この地で役行者(えんのぎょうじゃ)も行基(ぎょうき)も空海も修行をしている。空海はこの「星が森から石鎚山頂まで空を飛んで行った」という伝説がある。空海は、密教の聖典「大日経」にある「この身を捨てずして神境通を逮得し、大空位に遊歩して、しかも身秘密を成ず」という句を説明し、独自に「即身成仏儀」を著している。空海は神変加持力を修得され実践されていた。
「横峰寺」は山の窪地に立っている。本尊は「大日如来」。役行者が「金剛蔵王大権現(修験道の本尊)」を祀り、行基が「大日如来(真言密教の中心仏)」を刻みその中に役行者の像を納めて安置し、空海が寺院を建立して霊場に定めたと伝えられている。(現在、「モエ坂」のルートはそうとう荒れている模様。歩き遍路は通常、湯浪(ゆうなみ)ルートをゆく。車では有料の林道が開設されていて、寺院近くまで行けるようになっています)
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