第1番霊場「霊山寺」から遍路の旅がはじまる。この先、何があるのかわからない、何があっても構わない、行き倒れ覚悟、ただただ遍路道を歩いてゆく。
第5番霊場「地蔵寺」での出来事だった。地蔵寺の境内には、真ん中に大きな銀杏の木がそびえ立っている。その大木を囲むかのように、本堂と大師堂が向かい合って建てられてある。本堂で般若心経を唱え終えて、大師堂に向かおうと振り返ると、目に映ったその光景にショックを受けた。巡礼をしている家族のようであった。
車いすに乗った一人の男の子がいた。その横で父と母と思われる方が、地面にひれ伏すようにして拝んでいた。車いすの後ろには、そのハンドルを持って立っている小さな女の子がいた。何か悲しそうな表情であった。
何とも言えない光景を見た。その横を静かに通り、大師堂へと向かった。銀杏の大木の葉が風に揺れる。巡礼者を見守るように大師の像が立っている。何故かはわからない。歩けない我が子が、歩くことが出来るようにと、家族で四国霊場を巡拝しているように思えた。その家族の敬虔な祈る姿が、今でも目に焼き付いて忘れることができない。
高知の安芸で出会った「四国ルンペン」のおじいさん。一文無しで遍路をはじめ、托鉢しながら旅をしていた。家族もふるさとも捨てて、一人四国に渡って来たという。黒衣に遍路笠、白布で巻いた鉢壺を首にぶら下げ、長く延びたあごひげの下、鉢壺の中には小銭がいっぱい入っている。しわがれた声で「お遍路でっか―」と話しかけて来た。「四国ルンペンです」と自己紹介をされた。
しばらく一緒に歩いたが、インドのサドゥー(世捨人・風狂行者)のような人だった。その歩き方が独特で、真似をしてみたところ、あまり疲れることなく長距離を行けるようで、一種の歩行術なのかと思った。現在の社会は、金拝主義と利欲にまみれ、人間は人本来の本性を見失ってしまった…と嘆いていた。野宿の日々に、時に焼酎を飲みながら「お大師っさん」を慕う。陽気で仙人のような風貌だったけど、フト後姿が寂しく思えた。いつかは「天竺に行く」と言っていたけど、あれからどうなったことやら…。
遍路で出会う様々な旅人-、想い出すたび、自由への長い旅を想う。遍路たちの「祈り」がこみ上げて来る。
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