2018年11月2Ⅰ日午後8時、母が他界しました。今年の夏、体調を崩し入退院を繰り返していましたが、11月初旬「家に帰りたい」という本人の願いから、余生を住み慣れた家で過ごすことにし、できるだけ自然に、在宅での看取りの介護に入っていました。
家族・兄弟での介護と、退院前から社協のケアマネジャーさんが、主治医・病院スタッフ・訪問看護師・訪問診療・福祉用具・医療機器・薬剤師・ヘルパーさん他、母の支援ネットワークを調整・手配してくださり、親戚・友人・地域の皆さんの訪問や協力もあって、家での生活を支えてくれました。訪問看護師さんとヘルパーさんは毎日来てくれました。
在宅介護は24時間、大変なことです。住み慣れた家で最期まで住ごしたいという希望を支えていくものの、1日1日と生命力を失っていく、時々痛みに苦しむ声を聞くのがつらかったです。元気になってほしいという想いも、だんだん安楽に極楽往生できますようにと祈るようになっていきました。母は一家だんらんの夕食時、静かに眠るように息を引き取りました。あれっ、と思って近寄るともう息が止まってしまっていたのです。家族・兄弟が集まり、夜なのに看護師さんもケアマネジャーさんも駆けつけてくれ、医師が来られて死亡の確認がなされました。顔は安らかで不思議に美しくさえありました。体を綺麗にし、旅立ちの服も着せてくれ、支援者の皆さんに感謝しています。母もそう思っていると思います。
その5日前頃から人間の「死」とは何かを考えていました。ちょうどダライ・ラマ法王の来日講演をネットで見ていた時期でした。それで「チベットの死者の書」を取り出し、人が死ぬ時にはどのようなことが起こるのか…そして何処へ行くのかなど考えていました。(人体を巡る「ルン(風)」の流れや死の前後に現れるという「光」とは何か…)
母は父と青果中卸業を営み4tトラックに野菜や果実を積み中国・四国地方をまたにかけて昼夜働いていました。同時に、地域の子ども会のお世話や公民館活動、高齢者のサロンや福祉施設の訪問、ボランティア活動を長年されていて、それが生きがいであったように思います。
葬儀の段取りは、その道の知り合いの方がすばやく準備・進行してくれました。23日に無事告別式が終わり、家族と親しい人たちに見送られて母は旅立ちました。多くの方が言われていました…今どき家で看取られるとは、家族は大変だけど本人は本当に幸せだったと想う…、自治会のお世話人が言っていました…地域の大きな星がまた一つ消えた…。享年87歳、極楽往生-皆様、ありがとうございました。
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