top of page
執筆者の写真TOMO

東京TOUR

更新日:2019年2月14日


田舎者が大都会に行くと街全体が一大テーマパークのように思えて来る。飛行機に乗ること自体も、駅と駅を結ぶ階段やエスカレーター、様々な電車や店舗や高層ビル、行き交い歩くたくさんの人々、いったい何が起こっているのか…。人間が創造した一大テーマパーク?、楽しい園?、何がテーマか人それぞれの見方によるのである。

東京の映像関係コンクールにR君が入賞したので(おめでとう!!)、便乗して東京へ行って来た。M君が都庁の展望室や水道橋の宇宙ミュージアム、浅草などへ案内してくれた。宿泊した小田急ホテルセンチュリーサザンタワーからは新宿の夜景が美しく、スカイツリーも東京タワーも見ることができた。9日は雪が舞っていたが、あくる日は遠くに富士山を拝むことができた。

久しぶりの東京、しかしよく歩いた。もう数日いたい気分であったが、また機会があれば旅したい。



ついでに東京の思い出話―。

…その1、1978年5月だったか、アメリカのUFO教育センター来日講習会に参加した。シャーロット・ブロッブ女史、ドクターディアス博士、トマス氏、古山晴久さんが、宇宙人と会見した体験を基に、地球人の生き方や文明の進むべき方向性などについて話された。この太陽系には12の惑星があるが、地球が一番進化が遅れており、近隣の友好的なブラザーズ・シスターズたちが地球人の精神性と科学開発などを蔭ながら援助している…。4人の方は、当時のTV―大橋巨泉さんの11PMにも出演され、宇宙人は我々と同じ人間であり、他の惑星から来て地球社会に溶け込んで働いている人もいるといった話などであった。あれから40年も経つのであるが、パソコンが普及し通信・産業技術は発展して来たものの、未だに核兵器はなくならないしフリーエネルギー装置や宇宙開発の真相が公表されていない現状である。


…その2、80年代初期、東京近辺のヨガ道場巡りをしたことがあった。その中で、バグワン・シュリ・ラジニーシの日本瞑想センターでは幻想的なインド音楽が流れ、鮮烈な印象を受けた。荻窪のほびっと村とかも懐かしい。神保町の古本屋街は東京へ行くたび時間があれば巡っていたが、日本の古典、インド・チベット・中国の図書やVCDなど買っていた。


…その3、80年代か、確か新宿で吉田拓郎氏の野外コンサートへ友だち数人で行った。偶然道端で拓郎さんと出会った。コンサート後はみんな酔っぱらって「アジアの片隅で」を歌いながら歩いていたような記憶がある。まさに青春⁉。また、東京を思い出す歌がいくつかあるが、森田童子さん(故人)が「ぼくと観光バスに乗ってみませんか」を歌っていた頃、「はとバス」の話をしていた。いつかは乗ってみたいと憧れていた。


…その4、霞が関の全国社会福祉協議会へは何度か行った。それに、清瀬市にある日本社会事業大学の通信教育生だったんだ。短期間だが多くの先生方の授業を受けた。その後、学長になられた大橋謙策先生の地域福祉の講義はすごい迫力があった。面白く、真実味があり実践的な福祉の教えで大変啓発を受けていた。大橋先生は毎年、四国(こんぴら)地域福祉実践研究セミナーのメイン講師もされていて、四国八十八ヶ所を徒歩で通しで2度も巡礼された地域福祉・福祉教育の先覚者であられる。大変お世話になった福祉の大師です。あと、全社協からの功労表彰を受け取りに東京へ行ったこともあったなあ…。


…思い出すことがまだまだあるけど、東京はいいところである。観光地でも電車やホテルでも外国の人が結構いた。隣国の朝鮮半島や中国の人とは仲良くするにこしたことはない。これからの社会情勢を考えると、社会的にも地勢的にも大きな変化がありそうだ。世界都市東京はますます進化し続けるだろう。田舎は田舎で自然を大切にし田舎のいいところを生かす時代である。 2019.2.10


閲覧数:18回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page