≫≫≫密教を極めれば、「人」を動かし、ついには「天」をも動かすことができるというのは本当か?
空海「本当です。手を合わせ、口に真言を唱え、心に大日如来を想うのです。」
≫≫≫なら、都に君臨する黒い雲を、はやく祓うてくれ…。
……空海は天皇に謁見した後、鎮護国家の護摩祈祷を行い、平安京の安寧を祈った。そして弟子たちと共に全国救済の旅に出かける。空海曰く
「死を恐れるな。人がいる限り、どこまでも踏み分けてゆけ。」
……ある日、空海の一行は、疫病に襲われた村落に出会う。伝染病が出た家々は焼かれ、野には多くの人が倒れて苦しんでいた。病気の女性が息絶えるような声で空海に言った。
女性「お坊さま、どうか楽にさせてください。」
空海「楽に?」
女性「この世に生きておっても、苦しいことばかりです。どうか、楽にさせてください…。」
空海「この世で成仏しなくて、どうして死んで成仏なんかできよう。」
女性「この世で成仏など出来るわけがありません。」
……空海は女性を抱き起して言った。
空海「生きているうちに、この父母よりもらった体のある内に幸せにならんで、何で人は救われよう。」
女性「この世は、あまりにも苦しすぎます。」
空海「この世なくしてあの世はないのだ。この世を逃げて、あの世はないのだ。この世で、生きながらホトケとなれ。幸せをつかめ、成仏するのだ。」
……その声に、野に倒れ込んでいた周りの病人たちは一斉に空海の方を見た。
女性「そんなこと、出来るのでしょうか。」
空海「出来る。必ず出来る。さあ、手を合わせ…、生きる力を呼ぶのだ。生きる力を呼び起こし、生きる力に触れるのだ。」
……空海は立ち上がり、呼びかけるように周りの人たちに言った。
「この天地宇宙が生きている力と、この体に生きる力とは同じなのだ。さあ、手を合わせ……、風が吹くように、光が射すように、心の中に風を呼び起こせ!!。光を放て!!。…オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン………」
……人々は希望に打たれたかのように真言を唱え始め、野辺は祈りの渦となって行った…
(以上、映画「空海」の一シーン)
今の日本に、空海の法力を受け継ぐ密教行者はいるのだろうか…。
ずいぶん以前のこと、近くの東予市に密教の高僧が住まわれているということを知って、訪ねて行ったことがある。
三井英光師(1902~2000年)。
師は、真言密教の総本山・高野山でもなお奥深くにある「真別処(密教行者専門の修行聖地)」で密教の事相(実践的秘術)を指導され、奥の院や伽藍にも務められた後、愛媛県の自坊に帰られ余生を過ごされていた。その日、師は密教の話をやさしく聞かせてくれた。
あれから数十年、ある事からその日のことを思い出して、今は亡き三井師の住まわれていた寺院(2ヶ所)を再び訪ねて行った。
「道安寺」には十数名の方がお盆のお墓参りに来ていた。護摩堂の不動明王像は色彩豊かで最近祀られたように見えた。
その近くに、三井師が晩年を過ごされたという「神宮寺」がある。山際の樹々に囲まれて、ひっそりと建っている。本殿内にはめずらしい「聖天像」が祀られていた。
現住職の方は若く、三井師のお孫さんであるとのこと。境内の横で自家製のパンを焼く手伝いもされている(土-日-月、午後2時~)。三井師のお墓を教えてもらってお参りをした。
「密教とは一言で言えば、大宇宙をそのまま生きた仏様として拝む宗教ということが出来る/三井英光師」
およそ宗教は元来、人を救い世を救うもの。密教の教えは奥深く「即身成仏」や「三密加持」の秘法など、三井師はよく密教の神秘体験について語られていた。
「…神秘なる大実在を深く体験し、この法力をめぐらして自らや他の上に真実の安心と悦びと幸せをもたらすのが、密教の本分なのである。(加持力の世界)」
お墓の前で、あの日出会えたことの感謝を述べて、先日から気になっていた師の言葉を回向した。
「真空妙有、三密加持すれば…仏心のエネルギーが、そのまま神秘の霊光となって、働き出る…。」 2023.8.12
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