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執筆者の写真TOMO

龍神と玉響(たまゆら)


「龍」が見えるという人に会ったことがある。彼にとっては一時期、日常的なことだったらしい。流れる雲や水(水龍)、護摩の炎(火龍)が龍に見えたりすることもあるようだ。

修験道で滝に打たれ真言を唱えている時、体は危機的状況に陥るが、やがて真っ白な空間に溶け入り、内からほとばしるようなエネルギーが湧き上がって来たことがあった。霊峰の清浄な自然の中を歩いてゆくだけで、人間は誰しも山霊の息吹きを感じることができる。

山岳で自然の気が活発に流れている道筋を龍脈といい、新鮮な気が集い充実している地を龍穴と言う。春夏秋冬、天候や時刻の巡りにもよるが、そういう場所に居るだけで生命力が高まり或いは安定して、修行の効果が増強するというミステリースポットである。

以前、大峰山である行者の後をついて行ったことがある。行者は時々登山道に立ち止まり、しばらく呪文を唱えては又歩き出した。何故だろうと不思議に思っていた。見晴らしの良い場所に出た時とか、心地よい自然の「気」を特に感じた場所で祈っていたのだろうと後で思った。

よく絵に描かれるような龍の姿を、実際に見たことはないのであるが、昔、写真に写っていたことにはビックリした(写真)。そこは、石鎚山の頂上社(旧)である。昔は、3の鎖を昇りきった正面に頂上社があった。その日は頂上社の前で夜遅くまで読経をし、向かって右側の場所で野宿させてもらった。その野宿明けの朝、撮った写真がそれである。空から龍神が降りて来ている。向かって右側の所に龍らしい姿が見える。その場所で私は寝ていたのである。これは何を意味しているのか、今まであえて深く考えようとはしていなかった。

「龍」や「鳳凰」は異次元の生物かもしれないが、「龍」とは…何か飛翔するような力強いエネルギーをそう呼んでいるのではないかと思う。雨を降らし風を呼び光を運ぶ…大地をくまなく潤おし生き物を育てる…自然の地水火風を巡らせて司る存在者のようにも思える。この写真を見る度、霊峰の頂に渦を巻くある種の力強いエネルギーを感じるのである。

次は、玉響(たまゆら)と呼ばれる小さな生命光粒子(?)の写真である。普通「オーブ」と呼ばれている。聖地とか霊域とかによく出現し、撮影者の心情にメッセージを伝える存在であると言われている。が、これらは単なるカメラの工学的な現象であり、フラッシュの光に空中の水蒸気とかが反射して写り込んだ映像にすぎないとも考えられる。真相は解らないが写真を感じて観るのが一番いい。

1枚は高知の桂浜の突先にある「竜王岬」の玉響である。竜王社をフラッシュonで撮影した時、肉眼でも光り動く粒子が見えた。

次の写真は石鎚山の中腹、3月雪の残る成就社で撮影された玉響である。霧の粒子が反射しているのかわからないが、めったに撮影できない現象である。もう1枚は、そこに左から右へ白龍が進んでいるかのようにも見える。ちなみに、鳥居

の向こうはその日宿泊した旅館で、明りがついている2階の部屋はとても居心地がよかった。

こういった写真が撮れた時には、その後数日間は自然界の神秘と自分の人生・生命に真剣に向き合って過ごすことが賢明である。どんな予感があっても、建設的に祈ることが大切である。


昔、遍路旅をしていた時、山から下りてゆく遍路道で、次第に道幅が開け空が広がってゆき、涼しい風が吹き渡るその時、大空から光の粒子が雨のようにキラキラと降り注いでいる光景を見て感動したことがあった。見たというか、そういった意識状態になったのだろう。すばらしい光輝く世界を歩いていたのであった。今思うと、それは玉響たちの輝きではなかったのかとも思う。人に言うと幻覚だろう―と嘲笑されそうであるが、コロナウイルスに恐れ脅えるよりもましであろう。自然界のより善良なエネルギーにつながっていく事を祈りたい。


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